体罰とは
「体罰」肯定論への批判
体罰への対処
○「体罰」肯定論への批判
子どもの成長を願って加えられる外形的な実力行使が「適切な『体罰』・愛のムチ」で、それ以外のものを暴力や「不適切な『体罰』」として区別するという形の「体罰」肯定論があります。しかし「体罰」と暴力とを、もしくは「適切な『体罰』と不適切な『体罰』」を、どうやって区別するのでしょうか。「体罰」被害者や第三者にわかるような、明確な基準などはありません。「体罰」と暴力とを区別する基準は結局、加害者の主観しかありません。ということは、たとえ感情的な暴力でも、後からとってつけたように「子どもの成長を願っておこなった、正当な指導」かのようにいいわけが可能です。「体罰」と暴力は違うという論は結局、加害者の行為を自己正当化するための論理にほかなりません。次に、「体罰」肯定派の論理には、自分を「法律や社会道徳を超越した絶対的な存在」「絶対的な正義」「相手より格が上の人間」などと勝手に定義して、自分は安全なところにいながら、相手の立場や人権を低く扱うという、他者への人権軽視、ないしは差別や蔑視といった考え方があります。こんな考え方は非論理的で独善的な考え方であり、現代社会では通用しない考え方です。
体罰とは
「体罰」肯定論への批判
体罰への対処